我が家の猫の名前はココ(Koko)、本名はカウコウクン(Kao K’o-Kung)。リリアン・ブラウンの小説、シャム猫ココシリーズからとった。私たちのファースト猫。娘が高校2年生の時にやってきた。
娘は小学校2年生の時に、猫が沢山いるお家の猫たちと仲良くなり、お家の人とも仲良くなり、家に上がり込んで、猫と遊んだり、一緒におやつをもらったりするくらい、猫好きだった。
それまでハムスターや、飛びネズミ(カンガルーラット)を次々と飼っていたが、中学入学時に飼い始めた飛びネズミが亡くなったのをきっかけに、ようやく自分の猫を飼うことになった。
ココはトンキニーズという種類で、シャムとバーミーズを掛け合わせて作られた猫種。その頃はまだ日本では珍しい猫だった。
トンキニーズは毛色がいろいろあって、その中のシャンパンミンクという色味で、薄いベージュの毛におおわれ、こげ茶のポイントがある、見た目はほとんどシャム猫のように見える綺麗な猫だった。
そのココも昨年18歳(人間では85歳位)になり、まだまだ元気で老人を感じさせない可愛さだったが、ふと気づくと食欲が落ちて、痩せて、よく吐くようになっていた。脚力も弱って、トイレもやり難そうにしていた。
年末が近かったので、急いでかかりつけの獣医さんに連れていった。12月の下旬だった。体重を図ってみると、11月の予防注射時点で既に2.3kg位に体重が落ちていたが、そこから更に1.8kgに減っていた。
病院では、腎臓が弱って、脱水状態になっていると言われて、水分の点滴をしてもらった。しばらく、週2か週3で通って、点滴しましょうということになり、ほぼ週2回のペースで動物病院に通うことになった。
食べても下痢をして出してしまうので、下痢止めをもらうと、なんと、魔法のように食欲が沸いて、凄い勢いでご飯を食べるようになった。
調子が悪くなってから、ドライフードは食べなくなっていたので、ウエットフードとチュールを少しずつあげた。
足はだんだんおぼつかなくなり、トイレで用を足せなくなってきたので(しかも下痢)、小屋全体にトイレシートを引いて、ウンコをしたら、シートを変えるという方法にした。小屋の前にも、トイレシートを敷いた。
猫は清潔な生き物で、身体は自分で舐めて毛繕いして綺麗にする(たまに飼い主にも毛繕いしてくれる。)。そのお陰で、猫の毛はツヤツヤしている。
それがだんだん出来なくなってきた。一般的にはトイレの後も舐めて綺麗に身繕いするのだが、身体がしんどいのか、身繕いできなくなった。
下痢をしたところを自分で踏んづけたり、しっぽにつけたりもしていた。そうなると臭い猫になってしまう。
やむを得ないので、身体を洗って拭いてあげることにした。猫は元々水が嫌いで、シャンプーは凄く嫌がる。
ココも、子猫の時にシャンプーをしようとしたら、大暴れに暴れて逃げ出そうとした。以来、水とは無縁の生活を送っていた。
そんな猫を洗うのはなかなか大変で、2人がかりで猫を抑える係、猫を洗う係、猫を拭く係、猫にドライヤーを当てる係、猫を洗った洗面器を洗い、タオルを洗う係、と役割分担をして、なんとか猫を洗うことになった。
しばらくは、1日1回洗ってあげると、臭い猫から脱していたが、だんだん、おしっこもトイレで出来なくなってきた。そうなると、洗っても洗っても臭い猫になってしまい、1日何回も洗うことになった。
獣医さんに聞くと、おしっこが出にくくなっていて、気づかない間に、垂れ流してしまうのではないか、と教えてもらった。病院で膀胱を絞って、おしっこを出す(絞る)方法を教わった。
どうかな、嫌かなと思ったが、猫用おむつをすることになった。もう弱っていたせいか、それほど嫌がらずにオムツをしてくれた。
今度は毎日家で、おしっこ絞りをしてから、肛門と膀胱あたりを中心に、ぬるま湯で洗ってあげることになった。
あんなにきれい好きで、3~4時間の移動であれば、キャリーの中でおしっこをしたことすら無かった猫なのに。
体重も軽くなってしまい、その頃は1日おきに病院に通っていたキャリーが羽のように軽かった。
身体を洗ってあげながら、猫も人間も同じだな、と思った。猫も長生きすると介護が必要になる。
猫は軽いし、小さいので、人間に比べると簡単にお世話できる。身体を洗うのも、拭くのも、1kgちょっとなってしまった猫なら、片手で持ち上げることができた。人間の場合は、いくら軽くても40kgちょっとはあるし、重ければ80kgの人もいるだろう。どれだけ大変かは推して知るべしだ。
結局、ココの闘病生活は1ヶ月半程度で終了した。
最後の数日は、木曜日、金曜日とガツガツご飯を食べたが、土曜日の午後くらいから、ご飯を食べられなくなって、日曜日はあまり食べられなかった。
月曜日の朝に動物病院に行ったら、今日明日ですね、と言われ。それでも水を飲んだり、ご飯を食べたりしたがった。
もう自分では飲んだり食べたりできなくなって、お膝の上でスプーンにのせて、ちょっとずつご飯を食べた。
ココは最後まで頑張った。元々、気の強い猫だったので、病気の時もそれがプラスになったのだと思う。最後まで生きたい、と思っていたと思う。余談だが、男の子(オス)より女の子(メス)の方が気の強い子が多い気がする。
元気な時は、あまり抱っこさせてくれない猫だったが、闘病生活の最後は、よくお膝に乗って、ご飯を食べたり、撫でられたり、お昼寝したりしていた。不道徳かもしれないが、おとなしくお膝に乗ってくれる猫を愛おしく思う気持ちにもなった。
月曜日はなんとか持ちこたえ、火曜日のお昼過ぎにまだ息をしていることを確かめたその2時間ほど後に、もう息をしておらず、少し冷たくなっていることに気が付いた。
既に死後硬直が始まっていて、手を伸ばしたまま曲げることができなかったので、最後に息をしていることを確認した少し後に亡くなったのだろう。
・最後は眠ったままの安らかな死を迎えた。18歳半(人間では90歳くらい)、大往生とも言うべき年齢だったが、もう少し元気で生きていて欲しかった、と思う。
・闘病生活の間、出来るだけのことをしてあげたいと思っていた。猫が生きたいという気力があるのであれば、サポートしてあげたいと思った。正直言うと、これは母に何もやってあげられたなかった、という反省も大きい。
もちろん人間と猫は違う。でも同じ命だから、本人が生きたいと思うのであれば、出来る範囲でそれを支えてあげたい。逆に、生きたいという気持ちを喪失しているのなら、無理に生かそうとするのは間違いではないだろうか。
ご飯を食べたい、と思うのはとても大事なことだ。母が亡くなる1年近く前に、ご飯を食べているけど、十分に吸収できていないので栄養補助食品をあげたい、と施設の看護師さんに言われた。
たぶん、その時点で既に、母の身体は生きる方向ではなく、死ぬ方向へ向かって歩き出していたのだろう。
人間も猫も、無理やりに生かすのは良くないと思う。「胃ろう」にしたり、管につないで、栄養を外から無理に与え続けるのは、たぶん本人の身体が発している信号に反しているのだと思う。
少し前に、ご飯を普通に食べているのに、体重が減っていくのは身体が栄養を受け付けなくなっていくときにサインだ、という話を聞いた。亡くなる数年前から、身体が栄養を吸収しにくくなるようだ。身体の方が死ぬ準備段階に入ったのだろう。
逆に、食欲があることは、希望を持って生きている証だと思う。人間も猫も、それぞれが自分の人生を全うしようとしているのだ。
ココは最後に腎臓が悪くなった。猫は水をあまり飲まない動物なので、腎臓を酷使する結果、悪くなりやすいそうだ。獣医さんに、若いうちから気を付けていれば防げるのかどうか聞いてみたところ、個体差があるらしい。いくら気を付けてもダメな子はダメだし、普通にしていても長生きする子はいる。
不謹慎かもしれないが、自分も含めて、人間も個体差があり、運命とまでは言わないが、自分が特別無理をするとか、不摂生をするとか、いうことがなければ、おおよそ何歳まで生きることができるかは決まっているのかもしれない、と思う。
猫も人間も限られた人生だ。残された時間を有意義に使いたいものだ。そしてココのように最後まで戦い抜いて死にたい、と思う。