1. ニーチェの生涯
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは、1844年に生まれて、1900年に55歳で亡くなっている。
彼の生涯は、「若くして成功に恵まれたが、後半は挫折と苦悩を抱えつつ執筆活動を続け、最後は精神を病んで闘病ののちに亡くなった」と要約することができるだろう。
ニーチェは、子供のころから成績優秀で、幼いころからピアノを練習してその腕前も見事だったが、集団生活は苦手で、本当に気の合う1人か2人の友人と付き合うことを好んでいた。
彼の人生に大きな影響を与えた人物がいるが、その1人がワーグナーであると言われている。
20歳まで在学した、ブフォルタ学院の時に初めてワーグナーを聴き、最初は音楽家を志した。
初めてワーグナーに会ったのは24歳の時で、そのころワーグナーは既に50代半ばで、名声を確立していた。後に、ニーチェはワーグナーを批判して、自ら離反していくが、彼にとってのワーグナーは生涯を通して「すごい人」だった。
彼はワーグナーとその妻コジマの別荘に訪れては入り浸っていた時期があり、ワーグナー夫妻と一緒に過ごした幸福な時間をいつまでも覚えていたようだ。
もう1人は哲学者のショーペンハウアーだ。前述のワーグナーもショーペンハウアーの熱烈な支持者だった。
ニーチェはライプチヒ大学在学中の21歳の時に、ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』を読んで衝撃を受けた。23歳の時に『ショーペンハウアーについて』を書いている。
さらにもう1人、ルー・ザロメという女性の存在だ。ニーチェは38歳の時に彼女に出会い、求婚するが断られる。ルー・ザロメはニーチェの親友であった、パウル・レーと恋仲だった。
その翌年、ニーチェは10日でツァラトゥストラの第一部を完成させている。
また、永遠回帰という思想を肯定的に考えられたのも、ルー・ザロメの存在に負うところが大きいと言われている。
その他にも、ブフォルタ学院時代のパウル・ドイセン(インド哲学者)、バーゼル大学時代のフランツ・オーヴァーベック(プロテスタント神学者)、バーゼル大学の教え子であるペーター・ガスト(ニーチェ全集の編集に携わる)など、生涯に渡ってニーチェを支えてくれた本当の友人が数名いた。
1844 | 東部ザラセン州ライプチヒ近郊の小村レッケンに牧師の息子として生まれる (父方、母方共に祖父も牧師) |
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1849 | 5歳 | 父死亡。ナウムブルクへ移り、母、祖母、叔母に育てられる |
1858 | 14 | 名門ブフォルタ学院に入学。詩、作曲、哲学、文献学研究に才能を発揮 |
1864 | 20 | ボン大学に入学後、翌年ライプチヒ大学に移る。リッチュル教授のもとで古典文献学を学ぶ |
1867 | 23 | 大学の課題懸賞論文で受賞 |
1868 | 24 | ワーグナー音楽に完全に帰依する |
1869 | 25 | リッチュル教授の推薦により、スイス・バーゼル大学の員外教授となる |
1870 | 26 | バーゼル大学正教授に就任 |
1872 | 28 | 論壇上の処女作である「悲劇の誕生」を出版。学会・リッチュル教授からの信頼を失う |
1878 | 34 | 体調悪化により、バーゼル大学教授を退職 |
1881 | 37 | スイスのシルヴァプラナ湖畔で、「永遠回帰」のひらめきを受ける |
1882 | 38 | ルー・ザロメと出会う。求婚するが拒絶される |
1883 | 39 | イタリア・ジェノバの近くの海岸で突然「ツァラトゥストラ」構想のインスピレーションを受け、10日で第一部を完成させ、出版 |
1888 | 44 | この頃よりヨーロッパでニーチェの評価が高まるが、精神錯乱の兆候が現れる |
1989 | 45 | イタリア・トリノのカルロ・アルベルト広場で昏倒し、精神病院に入院。 翌年から、母と妹に看病されながら故郷ナウムブルクで養生する |
1900 | 55 | 死亡。故郷レッケンに葬られる |
2. ルサンチマンを克服せよ
ルサンチマンとは、うらみ・ねたみ・そねみのこと。「無力からする意志の歯ぎしり」。
「これこそ意志の歯ぎしりであり、最も孤独な悲哀である。すでになされたことに対する無力-意志はすべての過ぎ去ったものに対して怒れる傍観者である」(第2部「救済」)
ルサンチマンの問題は、悦びを求め悦びに向かって生きていく力を弱めてしまうことだ。
ルサンチマンこそが、キリスト教を生み出した、とニーチェは考えていた。
キリスト教が生まれた当時、①ユダヤ人はローマの支配下で苦しんでいた、②民衆は鬱屈する気持ちを抱え、無力感にあえいでいた、③ユダヤ人は神を用いることで、「観念」の中で強者になろうとした。
ニーチェは貴族的価値評価法と、僧侶的価値評価法という2種類の価値判断の仕方があることを主張する。
貴族的価値評価法とは、自分の力が自発的に発揮される時に感じる自己肯定感である。
僧侶的価値評価法とは、じぶんが気持ちよくなって自己肯定するのではなく、強い他者を否定することで自己肯定することを指す。
キリスト教は弱いものを守ってくれる安全シェルターのようなものだったが、神への信仰に疑義が生じてきており、綻びがでてきている。人々はシェルターの外に出て、それぞれがより創造的に生きる努力をしなければならない。
3. 「神の死」から「超人」へ
「神は死んだ」とは、キリスト教の神が信じられなくなり、また同時に、これまで信じられていたヨーロッパの最高価値がすべて失われ、人々が目標を喪失してしまうことを表している。言い換えれば、ニヒリズム。
キリスト教(神)は、みずからが育て上げた「誠実さ」によって否定された。
キリスト教は人間の中に誠実さを育て上げた。その結果、①神は人間が作り出したものだと分かった、②地動説、地球の公転などの合理性が発見され「科学的思考」が生まれる、③「自由な精神」も生まれる。
「末人(まつじん)」とは、憧れを持たず、安楽を第一とする人。神が死んだニヒリズムの世界では、憧れや創造力を抱くことなく、安全で無難に生きることをだけを求める人間をいう。
「無への意志」とは、活動、快楽、創造ではなく、一切の苦がなくなった静かな安楽の世界を求める。キリスト教には天国という苦しみのない世界があって、その状態こそが最高とされている。
安楽を目指すということは、創造性、苦しみを伴いつつも高まろうとする意欲がないこと。
「超人」とは、神に代わる、新たな人類の目標である。「私は欲する(意志する)」。
超人とは、高揚感と創造性の化身となったような人間のこと。
「意欲は解放する。なぜなら意欲することは創造することだからだ。」(第3部、「新旧の表」16)
《精神の3段の変化》
①「ラクダ」=忍耐強い精神。自分から求めて重い荷物を担おうとする。大変なことを進んで担い、それにより自分の強さを感じて喜びとする。
②「獅子」=「我欲す」、荒涼たる砂漠の中で巨大な竜である「汝なすべし」と闘う。竜は「一切の価値はすでに作られてしまっている。」と言うが、獅子は既存の価値と闘ってそれを打ち砕き、自分はこうすると宣言する。
③「幼子」、1つの新しい世界の始まり。自分から溢れ出てくる創造力に身をゆだねている。
4. 永遠回帰とは何か
永遠回帰とは、人生のあらゆるものが永遠にそっくりそのまま戻ってくること。
永遠回帰は、過去の最悪のことすべてがそのまま蘇ってくる。これは最悪のニヒリズム、「何をやっても無駄」を引き起こしかねない。
永遠回帰を受け入れることができるか否かが、人間を弱者と強者に振り分けるカナメである。永遠回帰を受け入れられる人こそが強者であり、「超人」になりうる。
「わたしがからみ込まれていた諸原因の結び目は回帰し、ふたたびわたしを作り出すだろう!わたし自身も永遠回帰の諸原因のひとつに属する」(第3部、「快癒しつつあるもの」2)
宇宙において、物質とエネルギーの状況が絶えず変動しており、宇宙の状態が絶えず変動する限り、無限に近い時間の経過の中では、宇宙は過去のある時点とまったく同じ物質とエネルギーの状況に到達するだろう。そうなれば、それ以降、まったく同じ歴史が繰り返されることになる。ふたたび太陽系ができ、第3惑星の地球ができ、生命が生まれ、人間が誕生し、われわれも生まれることになるはずだ。
永遠回帰をどう具体的に受け止めるかの解釈:「人生の中で一度でも本当に素晴らしいことがあって、心から生きていてよかったと思えるならば、もろもろの苦悩も引き連れてこの人生を何度も繰り返すことを欲しうるだろう」。
肯定しがたい事象を受け入れる、「しかたがない」から「それを欲した」にしなければならない。
「『祝福することのできない者は、呪うことを学ぶべきだ!』-この明るい教えは、明るい空からわたしに降ってきた」(第3部、「日の出前」)
自分のルサンチマンをごまかしたり、押さえつけたりするくらいなら、自分がこれを受け入れられないことをハッキリ認めたうえで、呪えばよい、とニーチェは言う。
「あなたはかつて1つの悦びに対して『然り』と肯定したことがあるか?おお、わたしの友人たちよ。もうそうだったら、あなたがたはまたすべての苦痛に対しても『然り』といったことになる。万物は鎖によって、糸によって、愛によってつなぎ合わされているのだから。」(第4部、「酔歌」10)
《深夜の鐘の歌》(第3部、「第2の舞踏の歌」)
1つ! おお人間よ!しかと聞け!
2つ! 深い真夜中は何を語るか?
3つ! 「私は眠った、私は眠った――
4つ! 深い夢から、いま目がさめた――
5つ! 世界は深い、
6つ! 昼が考えたよりも深い。
7つ! 世界の苦しみは深い――
8つ! 悦び――それは心底からの苦悩よりもいっそう深い。
9つ! 苦しみは言う、『終わってくれ!』と。
10! しかし、すべての悦びは永遠を欲する――
11! ――深い、深い永遠を欲する!」
12!
出典:西 研,NHK「100分で名著ブックス」ニーチェ ツァラトゥストラ,2012,NHK出版