台湾基礎情報
・台湾と日本は正式な国交がないので、台湾には日本大使館がありません。同様に、日本にも台湾大使館はありません。
・台湾旅行中にパスポートを紛失した場合は、台湾出入国及移民署に行きます。
・日本大使館のような業務は公益財団法人日本台湾交流協会(台北事務所、高雄事務所)で行っているそうです。・台湾は羽田空港から約3時間で行くことが出来るので、2泊3日でも十分に楽しむことができます。
・例えば、土曜日から月曜日もしくは金曜日から日曜日というスケジューリングが可能なので、仕事をしている方も1日の年休取得で旅行が可能です。
・短い日程での旅行であれば、朝発の羽田便、夕方発の台北便が便利です。
・ホテルは2人一部屋で、1泊10,000円/人以内から、50,000円以上までいろいろあります。
・個人的には、MRTの中山駅、台北駅に近いホテルがお勧めです。
・台湾に行って最もビックリすることの1つは、台湾の方がとっても親日なことです。
・日本人観光客が多いこともあり、ありがとう、こんにちは、など挨拶程度の日本語は話してくれる人が沢山います。
・また年配の方の中には、スーパーマーケット等では日本語で話しかけてくれる方もいます。台湾人は親切な人が多いので、道に迷っていたり、場所を探していたりすると、場合によっては向こうから声をかけてくれて、とても親切に道を教えてくれます。
なぜ台湾人が親日なのか
・台湾は世界で最も親日的な国の1つと言われており、日本からの観光客が非常に多い国です。
・でも、日本が統治した歴史があるのに、なぜ親日的なのか疑問に思われた方も多いと思います。
・江戸時代頃までは、台湾にはオーストロネシア語族という先住民が住んでいました。17世紀はじめまでは中国系の住民はほとんどいなかったそうです。
・この頃の台湾は海洋文化圏であり、いまの台湾にも感じられる南洋的な明るさは、ここから来ると考えられています。
・17世紀以降、中国から入植した人たちが増え、多数派となりましたが、言葉の問題もあり互いの融合は進みませんでした。
・その後、清は日清戦争で敗れ、1895年(明治28年)の下関条約で台湾を日本に割譲します。台湾の人たちにとっては、清に見捨てられた気持ちになりました。
・台湾の人たちは台湾民主国を宣言し、上陸してきた日本軍に対して激しく抵抗しました。乙未戦争と言われるもので、半年間ほども続き、大きな犠牲を出しました。
・しかし10~20年経つうちには、当時の近代的な日本の文化や技術がもたらされ、日本文化が浸透していきました。一方で、日本語教育が浸透し、同化政策が進められました。
・その後、日本は日中戦争、太平洋戦争と突き進み、1945年のポツダム宣言により、日本人は台湾から全員引き揚げ、半世紀に及んだ日本の統治は終焉を迎えました。
・台湾には、日本語で読み書きをする中国系と先住民の人たちが残されたのです。
・その頃、中国では、国民政府軍と中国共産党との内戦が続き、敗れた蒋介石は台湾に逃げ込みました。ただし、彼はいずれ中国本土に戻ると主張していました。
・台湾にいた中国系の人たちは、必ずしも蒋介石たちを歓迎したわけではなく、半世紀にもわたって日本語を使っていた台湾の人たちは、新たに来た人たちを「外省人」、もともと台湾にいた人たちを「本省人」と呼び合い、分断が起こりました。
・国民党は、日本語を禁止し、戒厳令を敷いて力で押さえつけようとする状態が約40年間続きました。外省人が先住民の女性と結婚するようになったり、戦後、3代目、4代目の世代では分断の意識は希薄になったように見えますが、台湾社会の根底にはこの分断が流れ続けています。
・1971年に中国は国連に加盟すると、それまでは中国の代表のように見なされていた台湾の中華民国が国際的に失脚していくことになりました。
・日本も、1972年の日中国交正常化の結果、台湾とは公的には断交することになりました。
・国民党を率いていた蒋介石が1975年に亡くなり、息子の蒋経国は父の路線を継承しますが、晩年に、戒厳令を解除し、本省人である李登輝を副総統に就任させました。
・李登輝が総統に就くと、一気に民主化を進めていきます。
・国際社会で認められていく中国に対抗するには、欧米と同じような民主制度を構築することが必要だと考えたのかもしれません。
・李登輝は様々な改革を断行して民主化を進め、1996年には総統の直接選挙で再選されました。
・さらに、1986年に結党した民進党(民主進歩党)は住民自決を謳い、本省人たちの支持を集めていきます。2000年には、本省人である陳水扁が民進党から初めて総統に就きます。
・陳水扁の失政によって経済も悪化し、2008年の総統選挙で選ばれた国民党の馬英九は、初めて中国に直行便を飛ばすなど、中国との関係強化を図ります。
・この政策により台湾企業が中国に進出することもできましたが、一方で、台湾に押し寄せた中国人たちが、台湾の不動産を買い漁り、不動産価格の高騰を引き起こしました。
・また、台湾の新聞社やテレビ局が中国資本に買われ、親中国の記事や放送が流されるようになったのです。台湾は経済的に少し潤ったとしても、中国に対して自由にものが言えない雰囲気の社会になっていったのです。
・こうした状況に対する危機感もあり、2014年に学生たちが立法院に突入して占拠する「ひまわり学生運動」が起きています。
・2014年に初めて台湾を訪れた際に、台湾の人たちが苦々しい顔で中国人観光客が増えていることを嘆いていたのを覚えています。
・またホテルで英語を使っていると中国人観光客だと思われることもあり、日本語で話すと、むしろ親近感を持ってくれたこともありました。
・その後の2016年の選挙で、反中国の立場をとる民進党の蔡英文が総統に就きました。
・国民党には、共産党が統治する中国であっても、そこは自分たちの故郷である大切な中国だという複雑な思いがあります。
・本省人をルーツとする人たちが多い民進党は独立志向が強く、中華民国ではなく、台湾共和国を名乗りたい思いがあります。
・差別はあったにしても、当時はアジアで最も進んだ技術や文化に浴した日本統治時代の方が、国民党による戒厳令時代よりもましだったという意味もあって、台湾人は親日的なのです。
・台湾人は日本と中国に対して複雑な経緯があり、その思いも単純には割り切れません。一概に親日と一括りにすることはできないということです。
(参照:「歴史を紐解くと見えてくる、台湾の親日の複雑な思い」、林 ひふみ,明治大学理工学部 教授 https://www.meiji.net/international/vol275_hifumi-hayashi)
台湾茶
・お茶の母国は中国で、世界で最初にお茶が誕生したのは中国だと言われています。中国でお茶が最初に飲まれ始めたのは数千年前からで、中国茶が今と同じような形式になったのは400年前位とされています。
・台湾のお茶は約200年前に中国の福建省からから持ち込まれました。台湾は、特に青茶(文山包種茶、凍頂烏龍茶、白毫烏龍茶)の産地として有名です
・青茶は半発酵のお茶のことで、これに対して緑茶は不発酵茶、紅茶は発酵茶になります。
・台湾の烏龍茶(青茶)は茶葉発酵度が15%~80%と幅広いため、それぞれの発酵度や焙煎方法(焙煎度)などにより、味や風味などが異なってくるためバリエーションが豊富にあります。
・その中で特に「東方美人」「木柵鉄観音(モクサクテッカンノン)」「文山包種(ブンザンホウシュ)」「凍頂烏龍(トウチョウウーロン)」は台湾四大銘茶と呼ばれています。
・「文山包種茶」は台湾北部(文山地区)で作られている烏龍茶で、昔、紙に包んで販売されていたことから包種茶と名付けられています。軽発酵茶(茶葉発酵度15~20%)で、苦みや渋みがほとんどなく、ほんのりとした香りと緑茶に近いすっきりとした爽やかな味わいです。
・「木柵鉄観音茶」と「凍頂烏龍茶」は中発酵茶(茶葉発酵度30~40%)です。
・「木柵鉄観音茶」は芳醇な味わいで、様々な香りがあり、カテキンも多く含まれています。
・「凍頂烏龍茶」は台湾の凍頂山で作られた、薄い金色のお茶で、華やかな香りとまろやかな甘みがあります。
・初めて九分で凍頂烏龍茶を飲んだ時に、こんな美味しいお茶があるんだ、と感激して、早速お土産に凍頂烏龍茶を買って帰りました。以来、大ファンになりました。
・「東方美人茶」は重発酵茶(茶葉発酵度70~80%)で、ウンカと呼ばれる虫を利用して栽培するため、無農薬で栽培されています。台湾茶葉の中でも極めて生産量が少なく、希少で高価になっています。発酵度が高く、渋みが少なく、上品な紅茶に近い美しい褐色と味、果実とハチミツが合わさったような甘い香りがあります。
(参照:「【台湾茶の基礎知識】極上の台湾茶の種類や特徴を知っておこう!」、狐月庵
https://kogetsu-an.shop/about-taiwan-tea/)
林華泰茶行
(リンホアタイチャアハン、Lin Hua Tai Tea)
・以前はそこまで(日本での)知名度は高くなかったと思うのですが、最近は日本人観光客に大人気なのが、林華泰茶行です。こちらはお茶の問屋さんです。
・私たちが訪問した際にも、何組もの日本人グループが次から次へと訪れ、お茶などを購入していました。
・いつもは冬に来ることが多いのですが、6月でとても蒸し暑かったので、従業員さんのほとんどは上半身裸で作業されていました。
・台湾初訪問の人たちと一緒だったので、茶葉を見せてもらいながらお茶を選びました。凍頂烏龍茶が好きなので、600元のものから順番に茶葉と香りを見せていただきました。最高4,000元のものまでありますが、1,000元、1,600元のものでも十分に良い香りがします。
・大きな茶缶のフタにお茶の種類と値段が書いてあります。お値段は600gに対するもので、150gから購入することができます。例えば、1000元と書いてあるものなら、150gは250元なので、1元=5円で計算すると、1,250円になります。
・こちらのお店は最初に伺った時から、お値段は変わっていません。とても良心的だと思います。
・お願いすると、試飲もさせてくれます。淹れたての凍頂烏龍茶はとても美味しいです。
・お店には日本語がペラペラの方がいて、丁寧に説明してくれたり、お勧めの茶葉を教えてくれたりします。
・お茶以外にもとても可愛い茶缶があって、今回は赤と緑1個ずつ購入しました。
・お茶は真空パックにしてもらうことも出来ので、冷凍庫に保存すれば1年位は大丈夫です。ただし、真空パックにできる茶葉は、凍頂烏龍茶のように丸まっているタイプだけです。
・こちらのお店以外にも、いろいろなお茶屋さんがあるので、お気に入りのお店を探してみて下さい。
林華泰茶行ホームページ
http://linhuatai.okgo.tw/
台湾の食事
・台湾の食事はいろいろな種類があります。台湾料理、中国料理(広東料理、北京料理、四川料理など)、飲茶、茶葉料理、ローカルフード、ファーストフード、日本料理にフレンチレストランがあり、夜市などの屋台もあります。
・ローカルフードは30元(150円)でルーローハン(魯肉飯)、50元(250円)でふかひれスープ(魚肉翅羹)等を食べることができます。
・地元の方に人気の三元号は、安くてとても美味しい、その上親切なお店です。数年前までは、少し古めのレトロな店構えでしたが、今回伺ったら、とても綺麗に改装されていました。
・台湾式ハンバーガー「刈包(グアバオ)」(または「割包」)は不思議な食べ物で、1つ50元位からあり、とても美味しいです。ふかふかの蒸しパンに、豚角煮や高菜の漬物などを挟んだ食べ物で、ピーナッツ粉をかけてくれます。このピーナッツ粉がポイントで、不思議な美味しさを醸しだします。
・以前うかがったのは、「石屋割包」というローカル感満点のお店です。
・台湾はかき氷も有名ですが、1つがとても大きいので、あまりお腹のすいていない時は2人で1つをシェアするのがお勧めです。
・今回うかがったのは、古早味豆花という豆花のお店で、暑い時期限定でかき氷も食べられます。今回は暑い時期だったので、かき氷をいただきました。地元の方々はやはり豆花を食べていました。2種類食べましたが、どちらもとても美味しかったです。
・お料理の中でも、台湾料理は美味しいです。有名店としては、青葉(中山店)、欣葉(シンエイ 南西店)などが良いお店だと思います。日本から予約も出来るので、予約しての来店が安心です。
国立台湾博物館(National Taiwan Museum)
・国立台湾博物館は、日本統治時代の1908年に設置された、台湾で最も歴史のある博物館です。現在の建物は、野村一郎が設計したもので、正面はギリシャ神殿を思わせる太い柱と植物の彫刻がほどこされたペディメント、ローマ風のドーム式ドームが特徴です。とても壮麗で、荘厳な雰囲気が漂っています。初代館長に川上瀧彌が就任しました。
・中央ロビーを見上げるとドームの下のステンドグラスも壮麗です。
常設展示は展示1~3まであり、展示1は「ディスカバー台湾:台湾の自然と博物学者の時代を再訪する」というテーマで、21世紀になってから企画された展示です。「発見への道」、「台湾の新たな領域」、「過去は未来」の3つのセクションに分かれおり、歴史的な展示を通じて20世紀初頭の「もっと旅をして、もっと知識を吸収しよう」という精神を表しているそうです。
展示2は「台湾探検」がテーマで、人類学、地質学、動物学、博物学などの展示を組み合わせることによって、時間的、空間的、運動的などのテーマを紹介し、台湾の文化と自然環境を概観することができます。展示は2つのホールに分けられており、それぞれ、「台湾の自然」、「台湾の人々」と名付けられています。
展示3は「台湾、私たちの家」というテーマの子供向けの展示になっています。5歳から10歳位の子供たちを対象にしており、台湾に息づいている豊かな自然と多様な文化をドラマ仕立てで紹介していきます。子供たちが台湾の自然と文化を探検し、この土地に対する理解を深め、文化の多元性を尊重する心を養うことができることを目的としているそうです。
(参照文献:パンフレット「Introduction to National Taiwan Museum System」の英文説明 )
国立台湾博物館:特別展
百年対話:移住者とコレクションの出会い
1908年に創設された国立台湾博物館の収蔵品は12万点を超え、その多くは20世紀の日本統治時代に収集されたりして集められました。戦後、日本人が引き揚げる際、引き継がれた南洋コレクションについては目録と名称があるだけで、詳細な情報は残っていなかったそうです。
1990年以降、台湾では東南アジアからの移住者が増え、最近すでに100万人を超えているそうです。このことを機に、今回の特別展が企画されました。
特別展のキュレーター袁緒文氏によると、2016年にインドネシアからの移住労働者のパフォーマンスグループが、台湾博物館が共同開催するインドネシア建国記念文化芸術活動などにおいてインドネシア伝統の民族舞踊を披露していました。その際、ダンサーの服飾が、博物館のコレクションに似ていることに気付いたことをきっかけに、所蔵品の名前や意義が少しずつ明らかになっていったそうです。
(百年前から収蔵されてきたインドネシア・クディリ市の影絵芝居の人形)
東ジャワのレオグ・ポノロゴとバリ島のバロン(Barong)は、いずれもインドネシアの信仰における重要な聖獣で、しかも庶民の暮らしと密接につながっています。林采妮さんの家族はレオグ・ポノロゴのダンサーで、彼女の舞台衣装は博物館に展示され、多くの人が鑑賞しているそうです。
(『ラーマーヤナ』を題材としたジャワ島の人形劇の人形)
展覧会場には百年前にパイナップル繊維で織られたフィリピンの服飾バロン・タガログも展示されています。男性用は刺繍が入ったポケットのないシャツ、女性用はバタフライスリーブが特徴だそうです。1975年にマルコス元大統領がバロン・タガログを国の正装に指定したため、フォーマルな場でよく目にするようになったそうです。現在はパイナップル繊維が非常に高くなっており、化学繊維を使用することが多くなっているようです。
(参照文献:台湾光華雑誌「百年を隔てた再会-東南アジアからの移住者とその故郷の文物の出会い 2023/02」)
胡蝶蘭
・胡蝶蘭は、ラン科コチョウラン属の常緑性多年草で、台湾(を含む熱帯アジア)が原産地になっています。
・その学名はPhalaenopsis aphrodite(ファレノプシス・アフロディテ)といい、「ファレノプシス」はギリシャ語のPhalaina(蛾)からきており、「蛾のような」の意味になります。「アフロディテ」は、ギリシャ神話の愛と美の女神が語源になっています。
・ラン科植物は、①木の樹皮や岩に着く着生ランと、②根で土に生える地生ランに大別され、胡蝶蘭は①の着生ランになります。
・台北の花博公園の方にある臨済護国禅寺まで散歩に行ったメンバーが、胡蝶蘭が木から生えているのを目撃しました。
・樹に着くのが本来の姿とは思わなかったので、写真を見せてもらってとてもビックリしました。
・「着生ラン」は樹木の幹や樹皮、枝に張り付いて根を張りめぐらせて生息しています。しかし、あくまでも着生しているだけで、樹木から養分を吸収して寄生している訳ではありません。雨や霧をはじめとする空気中の水分を吸収して成長するそうです。
・胡蝶蘭は原産地においては、特に樹木の上の方の風通しのよい場所に生息していることが多く、樹木だけでなく、岩の上に着生していることもあるそうです。
・台湾はかつて世界一の胡蝶蘭の生産高を誇っていましたが、2022年時点では、オランダに追いつかれ、世界2位になっています。しかし、有数の生産国であることは変わりません。日本などのアジアだけではなくヨーロッパ圏へも苗を出荷しています。
・台湾では最近の20年ほどで、劇的に生産が増えていますが、その理由の1つに、日本でギフト用の胡蝶蘭が用いられるようになってきたことと関係があるそうです。
・日本ではかつて、より美しい胡蝶蘭の研究を盛んに行っていましたが、胡蝶蘭に最も適した熱帯ではないため、苗の生産をすべて行うことは難しく、生産コストがかかりすぎました。
・その解決策として、量産の難しい品種の生産を、原産国でもあり蘭に適した気候である台湾にもっていくことを考えました。高価で珍しい品種だった日本独自の胡蝶蘭は、台湾で急激に生産を伸ばしました。
・その後、台湾は独自の品種を研究し、研究機関を増やし、美しい品種をたくさん生み出しました。今では台湾は胡蝶蘭研究の第一人者となりました。2021年度の台湾の胡蝶蘭の輸出額が1億6015万ドルにも上っています。
台北101
・台北101は有名ですが、これまで何度か台北に行っているのに上ったことはありませんでした。
・高いところが好きだというメンバーがいたので、せっかくなので上ってみることにしました。
・台北101は、実は古典的な中華思想からうまれた発想があるそうです。まず、風水が一番いいとされる土地に建設されており、設計は風水的に良い「気」を取り入れて逃がさないようになっています。
・台北101の入口付近には、水が流れる場所があり、水が回って流れているということで、お金の回転がいいということを表しているそうです。
・また台湾101タワーは節が8つあって、これが「發財」という、お金がドンドン入ってくる「八」という数字にこだわって作られています。
・さらに、この節が縁起の良いとされる竹のように見えるところも良いことです。
・このように台北101は大変縁起の良い建物なので、ここにオフィスを借りたり、店舗を開くことによって、繁盛まちがいなしと言われています。
・展望台に上がるエレベーターは東芝製で、毎分1,010メートル(時速60.6キロメートル)の速さで上昇して、地上1階から展望台のある89階まで39秒で到達するそうです。
・2004年に、世界最速としてギネスブックに認定されましたが、残念ながら2016年に上海にあるエレベーター(三菱電機製)に記録を破られました。どちらも日本製なんですね。
・エレベーターが動き出すと、天井にはプラネタリウムが表れ、宇宙空間にいるような気分に浸ることができます。
・超高層建造物では、地震よりも風圧による振動の方が遥かに考慮すべき制振対策なるそうです。また特に台湾は大型台風が頻繁に直撃する気候のため、暴風対策には非常に力をいれた設計になっています。
・台北101では、耐風や制震のため「ウインドダンパー」という重さ660トン、直径5.5メートルの巨大ダンパーを92階から87階にかけて設置しています。ビルが揺れた際には、ウインドダンパーも動き出し、台北101のバランスをとるとのことです。
・理論上は風力による振動を最大40%抑制できます。台北101のイメージキャラクターである、ダンバーベイビーはこのダンパーをモチーフにしているそうです。
(参照:TAIPEI NAVI「台北101展望台」、https://www.taipeinavi.com/miru/1/
龍山寺
・龍山寺駅を降りると、公園があって、平日のためか、年配の人たちでにぎわっています。台湾将棋(中国将棋)をやっているグループもあり、その周りを数人が取り囲んでいて、みんなとても楽しそうにしていました。
・将棋のコマが丸く、シャンチーといって、中国やベトナムの将棋だそうです。日本の将棋とはルールが違って、とったコマが使えないそうです。午後のひと時をのんびり楽しんでいる台湾らしい光景でした。
・道路を渡ると龍山寺があり、たくさんの人が参拝していました。ここには100人以上の神様が祀られているそうです。順繰りに、いろいろな神様を拝んでいる人もいます。
・龍山寺は清時代の乾隆3年(1738年)、大陸福建省泉州から渡ってきた漢民族の移民たちによって創建され、福建普江安海龍山寺の分霊を迎え入れたお寺です。
・その背景として、台湾北部へ移民してきた際に、土地の環境が悪く、移民してきた10人のうち3人が残り、6人が死亡、そして1人は帰国という状態だったことがあるようです。龍山寺は、移民たちの「神様に保護していただけるように」という願いがこめられたお寺です。
・このお寺は入口と出口が決まっていて、右手にある入り口から入ります。右手の「龍門」から境内に入って、参拝後に左手の「虎門」から帰るという決まりだそうです。
・境内の総面積約は1800坪で、御本尊を祀った本殿を中心にして、周囲に前殿、東側の鐘楼、後殿、西側の鼓楼が配置されています。
・建物は何度も災害や戦争の影響を受けて、改修工事が行われたそうです。
・龍寺山の御本尊は、本殿の正面にいらっしゃる聖観世音菩薩(観音様)。第二次世界大戦終戦直前の1945年に、アメリカ軍の空襲によって石柱までも全壊しましたが、観音様だけはその被害を逃れたそうです。
・本殿にはその他、文殊菩薩、普賢菩薩、十八羅漢、韋馱護法、文殊菩薩が祀られています。
・一方、後殿には主に道教の神様が祀られています。こちらは学問や商売、子宝、恋愛などそれぞれの分野によって分かれています。
・文昌帝君、大魁星君、紫陽夫子、馬爺、天上聖母、太陽星君、太陰星君、註生娘娘、池頭夫人、十二婆者、水仙尊王、城隍爺、龍爺、福德正神、關聖帝君、三官大帝、華陀仙師、地藏王菩薩、月老神君 などが祀られているそうです。
・なかでも人気のある神様の1人が、学問の神様「文昌帝君」だそうです。台湾の受験シーズンの5~6月には、たくさんの受験生やその保護者がお参りするそうです。
・お供え物にも意味があり、学問の神様へのお供えものは決まって「ネギ、大根、包子」ということです。
・ここでも、あちこちに胡蝶蘭が沢山あり、ずらっと並んでいる様子は壮観でした。
(参照:TAIPEI NAVI「艋舺龍山寺」、https://www.taipeinavi.com/miru/19/